Lとのお付き合いはとても楽しかった。あの頃私は鬱病などは発症していなかったけど、健忘はしていたのでその事についてもちゃんと話していた。…解離して自分の体を傷つけてしまう事を他人に言ったのはLが初めてかもしれない。Lはちゃんと話を受け止めてくれて、更には本屋でそれらしき本(精神疾患系)を買って読んだりしてた。多分その事を私が知っているという事はLは知らないと思う。
いつも通りLのアパートへ行って飲んでいて、酒が無くなったので買ってくるとLは部屋を出た。卓上テーブルの下にLの好きなファッション誌が散乱していたので整理しようと雑誌を手にした。雑誌の山から表紙を裏表逆にしてある本があったので「Lが小説読むなんて珍しいwwwどんなジャンル読んでんだ?」とページをめくってみるとPTSDについてとかそういった精神系の本だった。私は本を閉じ、数分前と同じ様に雑誌を散乱させておいた。
こんな私を好きになって…しかも本まで買いやがって…。なんだか悪い気がした。私は愛情を与えていない、与えられない。こんな私と付き合うのは時間の無駄だよ。Lにはもっと素敵な人、愛情を与えてくれる人がいるよ。
だから私は別れを告げた。
Lは私と同様、非常にサバサバした性格なので別れについてゴネたりはしなかったがシットリと泣いていた。
別れた後、私は今の旦那と付き合い今に至る。Lも彼氏をゴロゴロ変えたりしていた(綺麗だからモテる)。今では良い友達です、音信不通ですが(笑)まぁそのうち連絡よこすでしょう。
L、あなたの愛情に応えられなくてごめんなさい。
これからも良い友達でいてください。
ありがとう。
おわり。
2008年05月30日
2008年05月29日
さくら vol.2 -付き合い-
とまぁLと付き合った訳ですが、当時の私には恋愛感情というものが無くいつも通り放置。Lも束縛するタイプではなかったので、その頃の私としては非常に付き合いやすかったです。でもたまに「なんで甘えないの?」と、今まで付き合ってきた人達から必ず言われてきた言葉を放たれた。
あの頃の私はお酒が強く、しかしLはそれを凌ぐ強さだった。Lのアパートで宅飲み→わたし泥酔というパターンが多かった。色々と迷惑かけたなぁ。私酔っ払うと完全に千鳥足になる、テンション高すぎ、道路で寝る、物をいじる等なかなか面倒臭いヤツなんです。今はそこまで飲みません。元チームメイトと飲む時は別ですが。
Lとはホッケーでのポジションが一緒の為、試合などで対戦する時などは対面に居る事がしばしば。センターというポジションだったのですが、フェイスオフではセットが一緒ならばしっかり自分の彼女が目の前に居るのです(※バスケで例えると、始める時サークル内でジャンパー1人ずついますよね?あの感じ)。審判がパック(ホッケーの球)を落とし、センターの人は味方プレイヤーへパックを引き対面にいる敵にチェッキング(体当たり)をする。
正直やりづらかったけれど前々から「試合などでは手を抜かない」、とお互い決めていたので私は容赦なくプレイに専念していました。Lより私の方が上手かったので、試合が終わった後はプレイに関しての説教タイム。フェイスオフでどうやったらパックを取れるの?と聞かれたが、その質問は答えなかった。彼女だけれど、他チーム選手だからだ。…未だに教えてないかもしれませんwww
〜L、フェイスオフの時おめーはパックが落とされる場所、スティックの先を見てたね。それじゃダメなんだよ、「落ちた」と気付いた時に動いても遅いんだ。フェイスオフの時の目線は、下を向くんではなくて審判が持っているパックを見るの。そうすれば「落ちた」時ではなく「落ちる」時が分かるからその分早くからだが動く。〜
フェイスオフ以外のプレイはお互い指摘し合ったりしました。Lはいつも私の試合を見に来ていた。でも目が合ったとしても私は手を振ったりなどしなかったしLもしなかった。試合が終わるまで神経ピリピリしているのでそんな事できない、Lも分かってくれていたのかな。
ホッケーに力を入れている時期だったので、Lとデートしたとかあまり記憶に無い。せいぜい宅飲みかカラオケやビリヤード、買い物程度。Lは買い物が大好きでお洒落さん、私はその逆で買い物はあまり好きではなかったのでいつも渋々付いていってました。一体どちらがネコ(セクシャリティ用語についてはこちら)なんだとww
とある日、「彼氏ができた」とLが言った。「あーそう、良かったじゃない^^」と言ったら物凄く怒られた。なんで嫉妬しないのさ?云々。
疲れたから-つづく-
あの頃の私はお酒が強く、しかしLはそれを凌ぐ強さだった。Lのアパートで宅飲み→わたし泥酔というパターンが多かった。色々と迷惑かけたなぁ。私酔っ払うと完全に千鳥足になる、テンション高すぎ、道路で寝る、物をいじる等なかなか面倒臭いヤツなんです。今はそこまで飲みません。元チームメイトと飲む時は別ですが。
Lとはホッケーでのポジションが一緒の為、試合などで対戦する時などは対面に居る事がしばしば。センターというポジションだったのですが、フェイスオフではセットが一緒ならばしっかり自分の彼女が目の前に居るのです(※バスケで例えると、始める時サークル内でジャンパー1人ずついますよね?あの感じ)。審判がパック(ホッケーの球)を落とし、センターの人は味方プレイヤーへパックを引き対面にいる敵にチェッキング(体当たり)をする。
正直やりづらかったけれど前々から「試合などでは手を抜かない」、とお互い決めていたので私は容赦なくプレイに専念していました。Lより私の方が上手かったので、試合が終わった後はプレイに関しての説教タイム。フェイスオフでどうやったらパックを取れるの?と聞かれたが、その質問は答えなかった。彼女だけれど、他チーム選手だからだ。…未だに教えてないかもしれませんwww
〜L、フェイスオフの時おめーはパックが落とされる場所、スティックの先を見てたね。それじゃダメなんだよ、「落ちた」と気付いた時に動いても遅いんだ。フェイスオフの時の目線は、下を向くんではなくて審判が持っているパックを見るの。そうすれば「落ちた」時ではなく「落ちる」時が分かるからその分早くからだが動く。〜
フェイスオフ以外のプレイはお互い指摘し合ったりしました。Lはいつも私の試合を見に来ていた。でも目が合ったとしても私は手を振ったりなどしなかったしLもしなかった。試合が終わるまで神経ピリピリしているのでそんな事できない、Lも分かってくれていたのかな。
ホッケーに力を入れている時期だったので、Lとデートしたとかあまり記憶に無い。せいぜい宅飲みかカラオケやビリヤード、買い物程度。Lは買い物が大好きでお洒落さん、私はその逆で買い物はあまり好きではなかったのでいつも渋々付いていってました。一体どちらがネコ(セクシャリティ用語についてはこちら)なんだとww
とある日、「彼氏ができた」とLが言った。「あーそう、良かったじゃない^^」と言ったら物凄く怒られた。なんで嫉妬しないのさ?云々。
疲れたから-つづく-
さくら vol.1 -出会い-
久し振りに「むかしばなし」をageようかな。
元カノのおはなしです。
何度か記事に書いたことがありますが、私はアイスホッケーをやっていました。中学3年の終わり頃、学生チームから女子社会人チームへ入部。学生チームだと男子が殆どで高校ともなると男女の筋力の差は雲泥たるものなのです。ですので某女子チームに入りました。社会人チームなので中学生である私は一番年下、年が近い人は2つ上で殆どが5歳以上年上だった。
…私が誰なのか分かりそうなのでチーム詳細は省きます。そんなこんなで高校を卒業をしピカピカ社会人になった18歳の春、初任給で家族に寿司を奢り 残ったお金で久し振りに防具を新調しようと思いショップへ行った。あぁ、スケート靴を買おうかなぁと色々手に取り靴の軽さ・エッジ(スケートの刃)の長さ等見ていた。「レイー」と呼ばれ振り向くと他チームの先輩がいた。「こんちわッスー^^」と横に視線をずらすと見たことの無い人が数人いたので「?」な表情をしたら、先輩が「あ、今年入った新入生だよー、あれ?レイとタメじゃない?」と言われてビックリした。チームでは常に一番年下で他チームでも同じ年の人は数人しかいなかったのに、そうか、大学1年生って事は私とタメなんだぁと。他チームだけれど、同じ年の人が沢山居る事がとても嬉しかった。
先輩が連れてきていたのは5人くらいでその場で挨拶を交わした。「はじめましてー、***(チーム名)のレイでーす^^」と。するとヒョコッと出てきた子に「あ!目カラコン?それグレー?」と聞かれ頷くと「わたしと一緒だー♪」と、それから初対面とは思えない程のマシンガントーク。名前を聞いてみると珍しい名前で1回では聞き取れなかった。どんな漢字で書くの?と聞いてみると確実に春生まれな漢字だったので、春生まれなんだ?と聞くと冬だったり(;^ω^)名前はLとしておきましょう。Lはホッケー経験者で大学入学を機に上京したようで、ポジションは私と一緒だった。番号とアドレスを交換してその場は終わった。
他の子ともホッケー歴は?名前は?ポジションは?等話した。その後は先輩と話し込み、本来の予定であるスケート靴を購入した(7まんえんが飛んだ)。
数日後、知らない番号から電話がかかってきて恐る恐る通話ボタンを押した(登録していない番号からの着信って怖いですよね?)。「レイちゃーん?Lだよー♪」と電話越しにあの珍しい名前を聞き、あ メモで貰った番号を登録するの忘れてた(;・∀・)と思いながら話を進めていったのはよく覚えている。話している時に気付いたのが、Lのイントネーションが私の好きなイントネーションというか、小さい頃から聞き慣れているものだったので出身を聞いてみるとやっぱりね!の場所だった。あとは殆どがホッケート−クだったと思う。
気付けばよく連絡が来るようになっていて、よく遊ぶようになっていた。Lのチームと私のチームは仲が良くて、けっこう合同練習や練習試合をしていた。私が高校の頃、合同合宿もあったなぁ。
なんだか書くのが面倒臭くなってきましたwwwLのアパートにはよく泊まりに行っていて某日に告白され付き合いました。物凄く省略してみたwwwお互いバイセクシャル。なんでこんな綺麗な子が私と?Lのチームにはもっと綺麗&可愛い人が居るのに、こいつ目がおかしーんじゃねーか?と思った。
頭が良いのか悪いのか分からない所が好き。話してると元気になれる。
今でもよくLに言われる。いや正確にいうと今は音信普通なんですがwww
L、おめー今なしてんさ?
つづく。
元カノのおはなしです。
何度か記事に書いたことがありますが、私はアイスホッケーをやっていました。中学3年の終わり頃、学生チームから女子社会人チームへ入部。学生チームだと男子が殆どで高校ともなると男女の筋力の差は雲泥たるものなのです。ですので某女子チームに入りました。社会人チームなので中学生である私は一番年下、年が近い人は2つ上で殆どが5歳以上年上だった。
…私が誰なのか分かりそうなのでチーム詳細は省きます。そんなこんなで高校を卒業をしピカピカ社会人になった18歳の春、初任給で家族に寿司を奢り 残ったお金で久し振りに防具を新調しようと思いショップへ行った。あぁ、スケート靴を買おうかなぁと色々手に取り靴の軽さ・エッジ(スケートの刃)の長さ等見ていた。「レイー」と呼ばれ振り向くと他チームの先輩がいた。「こんちわッスー^^」と横に視線をずらすと見たことの無い人が数人いたので「?」な表情をしたら、先輩が「あ、今年入った新入生だよー、あれ?レイとタメじゃない?」と言われてビックリした。チームでは常に一番年下で他チームでも同じ年の人は数人しかいなかったのに、そうか、大学1年生って事は私とタメなんだぁと。他チームだけれど、同じ年の人が沢山居る事がとても嬉しかった。
先輩が連れてきていたのは5人くらいでその場で挨拶を交わした。「はじめましてー、***(チーム名)のレイでーす^^」と。するとヒョコッと出てきた子に「あ!目カラコン?それグレー?」と聞かれ頷くと「わたしと一緒だー♪」と、それから初対面とは思えない程のマシンガントーク。名前を聞いてみると珍しい名前で1回では聞き取れなかった。どんな漢字で書くの?と聞いてみると確実に春生まれな漢字だったので、春生まれなんだ?と聞くと冬だったり(;^ω^)名前はLとしておきましょう。Lはホッケー経験者で大学入学を機に上京したようで、ポジションは私と一緒だった。番号とアドレスを交換してその場は終わった。
他の子ともホッケー歴は?名前は?ポジションは?等話した。その後は先輩と話し込み、本来の予定であるスケート靴を購入した(7まんえんが飛んだ)。
数日後、知らない番号から電話がかかってきて恐る恐る通話ボタンを押した(登録していない番号からの着信って怖いですよね?)。「レイちゃーん?Lだよー♪」と電話越しにあの珍しい名前を聞き、あ メモで貰った番号を登録するの忘れてた(;・∀・)と思いながら話を進めていったのはよく覚えている。話している時に気付いたのが、Lのイントネーションが私の好きなイントネーションというか、小さい頃から聞き慣れているものだったので出身を聞いてみるとやっぱりね!の場所だった。あとは殆どがホッケート−クだったと思う。
気付けばよく連絡が来るようになっていて、よく遊ぶようになっていた。Lのチームと私のチームは仲が良くて、けっこう合同練習や練習試合をしていた。私が高校の頃、合同合宿もあったなぁ。
なんだか書くのが面倒臭くなってきましたwwwLのアパートにはよく泊まりに行っていて某日に告白され付き合いました。物凄く省略してみたwwwお互いバイセクシャル。なんでこんな綺麗な子が私と?Lのチームにはもっと綺麗&可愛い人が居るのに、こいつ目がおかしーんじゃねーか?と思った。
頭が良いのか悪いのか分からない所が好き。話してると元気になれる。
今でもよくLに言われる。いや正確にいうと今は音信普通なんですがwww
L、おめー今なしてんさ?
つづく。
2008年05月27日
最低最悪
いつか最低最悪という言葉が正式に四字熟語になってくれないかと前から思っていた。
昨日の夢は小さいカエルが出てきて、とてもホッコリした内容だったのに、なぜ今日の夢はあんなにも最低なものを見てしまったんだ。年に何回か見るのですが、あれは夢ではない。タイムマシーンに乗せられ過去へと放り出され、当時と同じ辛い体験を余儀なくさせられる。
レイプ時の夢だった。( ゚∀゚)o彡゚フラッシュッバック!フラッシュバック!何時頃だか分からないが、旦那に体を揺すられ起きた。物凄いうなっていたのは覚えている。起こされた時は全身寝汗まみれで体がとても寒かった。大丈夫?と旦那に声を掛けられたが、私は今寝起きで機嫌が悪いんです、みたいな素振りを見せ布団を頭から被った。旦那がまた眠った頃を見計らい(いびきが尋常ではないのですぐ分かる)私は音を立てないように起き上がり、押し入れのドアを開け着替えを持ちリビングへ向かう。
そうだよ、男の前で着替えが出来ないのはオメーらのせいだよ、クソ。
普段の生活の際、旦那の前で着替えをした事は記憶がある中で1回も無い。旦那に限らず高1〜今まで付き合ってきた男の前でもない。sexの時?その時は離人状態なので大丈夫のようです。普段の生活、あぁー暑いから半袖になろー等の着替えは無理です、必ず別室へ移動します。絶対見ないよと言われても別室へ行きます。
着替えたあと一服でもしたいところだったがそんな気力は無く、リビングにある薄い毛布に私の体を包んでもらい、体育座りをしながら「大丈夫だよ」と小さい声で自分に声を掛けながら小刻みに震えていた。
折角最近は調子が良かったのに…今日は人とコンタクトしない、外に出ない。DOUBLEのアルバムを買いに行く予定だったのだがしょうがない。そろそろ旦那が起きるので寝ないと(普通逆www)。昨夜どーした?大丈夫?と聞かれるのは目に見えている。「大丈夫^^」、朝方自分に言い聞かせた様に私はそう返答するだろう。運良く(?)今日は生理2日目なので、生理痛が酷いという理由で流す事が出来る。生理痛が酷いのも一応事実ですが。
あ!起きてきたから糸冬 了。
推敲する時間ないから支離滅裂だったらすみません。
あ、私の好きな四字熟語は切磋琢磨です。
おやすみなさい。
あれ、また寝た@旦那。なんだよ、トイレかよ。でも何だか疲れたから寝よう、と言いたい所だがまたあの夢を見そうで瞼を閉じたくない。何も信じたくない、信じられない。駄目だ、今日調子悪い。寝逃げ用の眠剤を飲んで寝よう。
おやすみなさい。
昨日の夢は小さいカエルが出てきて、とてもホッコリした内容だったのに、なぜ今日の夢はあんなにも最低なものを見てしまったんだ。年に何回か見るのですが、あれは夢ではない。タイムマシーンに乗せられ過去へと放り出され、当時と同じ辛い体験を余儀なくさせられる。
レイプ時の夢だった。( ゚∀゚)o彡゚フラッシュッバック!フラッシュバック!何時頃だか分からないが、旦那に体を揺すられ起きた。物凄いうなっていたのは覚えている。起こされた時は全身寝汗まみれで体がとても寒かった。大丈夫?と旦那に声を掛けられたが、私は今寝起きで機嫌が悪いんです、みたいな素振りを見せ布団を頭から被った。旦那がまた眠った頃を見計らい(いびきが尋常ではないのですぐ分かる)私は音を立てないように起き上がり、押し入れのドアを開け着替えを持ちリビングへ向かう。
そうだよ、男の前で着替えが出来ないのはオメーらのせいだよ、クソ。
普段の生活の際、旦那の前で着替えをした事は記憶がある中で1回も無い。旦那に限らず高1〜今まで付き合ってきた男の前でもない。sexの時?その時は離人状態なので大丈夫のようです。普段の生活、あぁー暑いから半袖になろー等の着替えは無理です、必ず別室へ移動します。絶対見ないよと言われても別室へ行きます。
着替えたあと一服でもしたいところだったがそんな気力は無く、リビングにある薄い毛布に私の体を包んでもらい、体育座りをしながら「大丈夫だよ」と小さい声で自分に声を掛けながら小刻みに震えていた。
折角最近は調子が良かったのに…今日は人とコンタクトしない、外に出ない。DOUBLEのアルバムを買いに行く予定だったのだがしょうがない。そろそろ旦那が起きるので寝ないと(普通逆www)。昨夜どーした?大丈夫?と聞かれるのは目に見えている。「大丈夫^^」、朝方自分に言い聞かせた様に私はそう返答するだろう。運良く(?)今日は生理2日目なので、生理痛が酷いという理由で流す事が出来る。生理痛が酷いのも一応事実ですが。
あ!起きてきたから糸冬 了。
推敲する時間ないから支離滅裂だったらすみません。
あ、私の好きな四字熟語は切磋琢磨です。
おやすみなさい。
あれ、また寝た@旦那。なんだよ、トイレかよ。でも何だか疲れたから寝よう、と言いたい所だがまたあの夢を見そうで瞼を閉じたくない。何も信じたくない、信じられない。駄目だ、今日調子悪い。寝逃げ用の眠剤を飲んで寝よう。
おやすみなさい。
2008年05月26日
カエル
昨夜の睡眠時間はいつものように3時間くらい。夢にカエルが出てきた。ある人と河原でうんこ座りをしながら喋っていたら、どこからだろうかカエルがピョコピョコやってきた。「おー!カエルじゃんかー!かわいいじゃーん!」と私は小さいカエルを捕獲し手の平の上でカエルの頭を人差し指で撫でていた。
普段の夢は人を殺したり殺されたり、追われたり、逃げたり、なかなか陰的な夢でして、とまぁインパクトが強いから起きた時でも覚えているのかもれない。しかし昨夜見たカエルの夢は特にインパクトも無いが覚えていた。嗚呼、ホッコリした夢を覚えているなんて珍しいなと思い久し振りに夢占い検索をしてみた。
カエルの夢は、金運、恋愛運、変化を暗示しています。
金運も恋愛運も上昇し、幸運が訪れることでしょう。
また、何かを新しく始めるというときに、カエルの夢を
見る場合が多いようです。
しかしながら、カエルが大量発生するような夢は、病気の前兆です。
身体に気をつけましょう。
キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
というか当たっていて怖いな夢占い。偶然すぐるwww
普段の夢は人を殺したり殺されたり、追われたり、逃げたり、なかなか陰的な夢でして、とまぁインパクトが強いから起きた時でも覚えているのかもれない。しかし昨夜見たカエルの夢は特にインパクトも無いが覚えていた。嗚呼、ホッコリした夢を覚えているなんて珍しいなと思い久し振りに夢占い検索をしてみた。
カエルの夢は、金運、恋愛運、変化を暗示しています。
金運も恋愛運も上昇し、幸運が訪れることでしょう。
また、何かを新しく始めるというときに、カエルの夢を
見る場合が多いようです。
しかしながら、カエルが大量発生するような夢は、病気の前兆です。
身体に気をつけましょう。
キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
というか当たっていて怖いな夢占い。偶然すぐるwww
2008年05月25日
鎮火-沈下
夜ご飯は旦那と一緒にパスタ料理を作っていた。材料を切り終え、私はまな板等を流しで洗っていた。1.5歩隣に居る旦那はパスタを茹でる為のお湯を沸かしていた。彼は鍋に向かいながら「燃〜えろよ〜******(←忘れた)」と口ずさんでいた。何その歌(笑)と尋ねてみたらキャンプファイヤーの歌だと言っていた。「それ有名な歌なの?知らねーんだけどwww」と私は笑いながら言った。
「有名だよ!あ、レイは昔の記憶がないから分からないんだね^^」と言われた。あまりにサックリと”記憶がないから”と言われたので少々落ちた。「そーなんさ^^」と笑いながら応答はしつつも心では戸惑いと共に泣いていた。本当に有名な曲なのかと後に友人3,4人に「キャンプファイヤーの歌うたってみて」と電話をした。皆あの”燃〜えろよ〜”というのを口ずさんだ。
…本当に有名な歌だったんだ。私、その歌知らないよ(´;ω;`)というか林間学校&修学旅行の記憶自体が無いよ。。。どこへ行ったのだろう?中学の修学旅行は奈良&大阪だったのは覚えている、鹿にせんべいあげたし。中学の林間学校…あったのかな?覚えていない。。。
”キャンプファイヤー”とタイピングをしイメージ検索をしてみる。

とても綺麗ですね、大きな木々を重ねて そこに燃える炎。こんなにも綺麗な情景を覚えていないなんて…。最後にはあの炎を消化器か何かで消すのだろう。
私の脳内はその消火器で炎を消すかの様に記憶をかき消されている。
「有名だよ!あ、レイは昔の記憶がないから分からないんだね^^」と言われた。あまりにサックリと”記憶がないから”と言われたので少々落ちた。「そーなんさ^^」と笑いながら応答はしつつも心では戸惑いと共に泣いていた。本当に有名な曲なのかと後に友人3,4人に「キャンプファイヤーの歌うたってみて」と電話をした。皆あの”燃〜えろよ〜”というのを口ずさんだ。
…本当に有名な歌だったんだ。私、その歌知らないよ(´;ω;`)というか林間学校&修学旅行の記憶自体が無いよ。。。どこへ行ったのだろう?中学の修学旅行は奈良&大阪だったのは覚えている、鹿にせんべいあげたし。中学の林間学校…あったのかな?覚えていない。。。
”キャンプファイヤー”とタイピングをしイメージ検索をしてみる。

とても綺麗ですね、大きな木々を重ねて そこに燃える炎。こんなにも綺麗な情景を覚えていないなんて…。最後にはあの炎を消化器か何かで消すのだろう。
私の脳内はその消火器で炎を消すかの様に記憶をかき消されている。
2008年05月24日
恋しさと せつなさと 心強さと
私に近い年代ですとタイトルを見てすぐ誰の曲か分かるかと思います。昔に大ヒットした篠原涼子さんの「恋しさと せつなさと 心強さと」ですね。当時から思っていたのですが、歌詞では…
恋しさと せつなさと 心強さと
いつも感じている あなたへと向って
最後「心強さと」という事はあともう一つあるはずなのですが何なんだろうかと。別に無いのならば「心強さを」にしているのではないかな。全部の歌詞をネットで見たところ考えられるのは「戦うこと!!」あたりなのかなぁ。誰か小室哲也さんに聞いてください。
わたし今久し振りにしっかり(?)風邪を引いていて鼻水ズルズル、咳ゲホゲホで声がしゃがれているのです。鼻かみすぎて鼻の回りが痛いのでオロナインを塗っています。花粉症なので春にローションティッシュを購入したのですが、あまり使わなく余っていたので現在有り難く使用しています。
涙を出すと鼻水がより一層出るのでローションティッシュ使用率がグイグイと上昇しております。付き合う=スタートラインだと思っていたが何だか今がスタートラインのような気がする。でも色は違う色。
「キモイ私」というカテゴリは、この記事をもって更新される事は無いかと思います。
ありがとう、本当にありがとう。
残酷な現実が二人を引き裂けば
より一層強く惹かれ合う
いくらでもいくらでも頑張れる気がした
-愛に囚われし者-
某曲より転載。
おわり。
恋しさと せつなさと 心強さと
いつも感じている あなたへと向って
最後「心強さと」という事はあともう一つあるはずなのですが何なんだろうかと。別に無いのならば「心強さを」にしているのではないかな。全部の歌詞をネットで見たところ考えられるのは「戦うこと!!」あたりなのかなぁ。誰か小室哲也さんに聞いてください。
わたし今久し振りにしっかり(?)風邪を引いていて鼻水ズルズル、咳ゲホゲホで声がしゃがれているのです。鼻かみすぎて鼻の回りが痛いのでオロナインを塗っています。花粉症なので春にローションティッシュを購入したのですが、あまり使わなく余っていたので現在有り難く使用しています。
涙を出すと鼻水がより一層出るのでローションティッシュ使用率がグイグイと上昇しております。付き合う=スタートラインだと思っていたが何だか今がスタートラインのような気がする。でも色は違う色。
「キモイ私」というカテゴリは、この記事をもって更新される事は無いかと思います。
ありがとう、本当にありがとう。
残酷な現実が二人を引き裂けば
より一層強く惹かれ合う
いくらでもいくらでも頑張れる気がした
-愛に囚われし者-
某曲より転載。
おわり。
2008年05月23日
本
私の趣味の一つで「読書」がありました。した、という事は現在本を読んでいないという事です。本といっても色々ジャンルはありますが、私はミステリー小説を好んで読んでいました。以前は仕事やらスポーツ等忙しかったので1ヶ月に2冊程度でしたが。2006年に激鬱状態になり、その後小説が読めなくなってしまったのです。雑誌等は読めるのですが、何故か小説だと読めなくなる。
激鬱から少し回復した2007年に久し振りに小説を読もうと、著者:綾辻行人「黒猫館の殺人」にチャレンジしたのですが途中で断念、集中力が続かなかった。綾辻さんの館シリーズは大好きなのに…と、自分の集中力の著しい低下に酷くショック受けた。300ページくらいので何か他のにしようと、違う本を購入して再チャレンジしたもののやはり途中で挫折。
読書をしなくなって(出来なくなって)約1年、2ヶ月くらいに前に「香水―ある人殺しの物語」という本を買った。ドイツで大ベストセラーした本で、2007年に映画化もされている作品です。この映画の方は既に見ていて、私の映画ランキングベスト3に入るくらい好きな映画です。それ程好きな映画の原作本ですら手を出せずにいる。
怖いから。
もし、また読めなかったら…と。やってみなければ分からないのですが、万が一読めなかったとしたら自分の集中力の無さに落ち込むと思うのです。落ち込むのが怖い。たかが読書出来なくなったぐらいで、と思われそうだが私にとっては「好きな事」だったのでショックなのです。以前は普通に出来ていた事が出来なくなるというショック。ミステリーというジャンル以外の本にしようかと思ったけれど、やはり私はミステリーが好きなのでいつか読了したい。
さっきようやく愛用していた新潮社のyonda?パンダのブックカバーに小説を入れました。

写真は入れる前の状態です。
たった341ページ、以前ならば1日で読了しているだろう。
準備は整っているので、後は「読む」という勇気だけだ。
激鬱から少し回復した2007年に久し振りに小説を読もうと、著者:綾辻行人「黒猫館の殺人」にチャレンジしたのですが途中で断念、集中力が続かなかった。綾辻さんの館シリーズは大好きなのに…と、自分の集中力の著しい低下に酷くショック受けた。300ページくらいので何か他のにしようと、違う本を購入して再チャレンジしたもののやはり途中で挫折。
読書をしなくなって(出来なくなって)約1年、2ヶ月くらいに前に「香水―ある人殺しの物語」という本を買った。ドイツで大ベストセラーした本で、2007年に映画化もされている作品です。この映画の方は既に見ていて、私の映画ランキングベスト3に入るくらい好きな映画です。それ程好きな映画の原作本ですら手を出せずにいる。
怖いから。
もし、また読めなかったら…と。やってみなければ分からないのですが、万が一読めなかったとしたら自分の集中力の無さに落ち込むと思うのです。落ち込むのが怖い。たかが読書出来なくなったぐらいで、と思われそうだが私にとっては「好きな事」だったのでショックなのです。以前は普通に出来ていた事が出来なくなるというショック。ミステリーというジャンル以外の本にしようかと思ったけれど、やはり私はミステリーが好きなのでいつか読了したい。
さっきようやく愛用していた新潮社のyonda?パンダのブックカバーに小説を入れました。

写真は入れる前の状態です。
たった341ページ、以前ならば1日で読了しているだろう。
準備は整っているので、後は「読む」という勇気だけだ。
2008年05月22日
嫉妬なのか願望なのか
今日は天気が良かったので午前中に徒歩で実家へ行きました。徒歩でも5分程度なのですが。両親の寝室に小さい頃のアルバムがあるので、布団の上にあぐらをかきページをめくってみる。そこでとある事に気付いた。入学式や卒業式などの行事で私と母が写っている写真が少ない、というか小学校の入学式しかなかった。そこで回想をしてみる。小学校の入学式は覚えていない、これは私の病気のせい?でも小学生って6歳だからあまり覚えている人なんていない気がしないでもない。
母は大きい行事、入学式や卒業式などのイベント時には調子が悪くなり入院をしていた。私は長女なので親からしてみれば全てが初体験な訳だ。私の小学校の卒業式はよく覚えている、母は入院していて卒業式に出られないのを寂しく感じていたから。私は小学校6年〜中学1年前期は病んでいた。これについてはいつか「むかしばなし」のカテゴリで書きます。そして中学卒業、高校入学&卒業、いずれも母は入院をしていた。だから写真にも無い。
妹のイベントには居る。2度目だから慣れたのだろう、入院はしていない。すなわち、妹のイベント時の写真はあるという事。それを布団の上で見つめ、私は何だか寂しいというのか妹へ嫉妬というのか、よく分からない感情が湧いた。成人式の写真も私は母と写っていなかった。
次女っていいなぁと一瞬思ったものの、次女からすれば長女っていいなぁと思う部分は勿論あるだろう。よく聞くのは、1番目の子は2番目の子よりも写真が多いとか、同姓ならば長女は新品の洋服で次女がそのお古だとか。要はどっこいどっこいなのだが、正直腑に落ちなかった。
私は母に愛されていたのかなぁという疑問が頭をよぎる。子供が親の愛情を感じ取るのは難しいというのは分かっているけれど、なんせ私には小さい頃の記憶が乏しい。
手紙が大量に保管されている箱を自室の奥から見つけた。そこには元カレや元カノからの手紙の他、友達、会社のおばちゃん、高校の先生、そして母からの手紙があった。その手紙は私が高校3年の終わり頃のもので、母は入院中だった。初めて母の入院している病院へ妹と一緒に面会をしに行った、2人共母への手紙を持ちながら。母からの手紙というのは私たち姉妹からの手紙の返事だった。1つの封筒に私宛てと妹宛ての2枚の紙が入っており、目を通してみて後悔した。
私宛ての手紙には「面会に来てくれてありがとう、でももうすぐ退院すると思うので来なくてもいいです」と書いてあり、妹宛てには「面会に来てくれてありがとう、涙が出るほど嬉しかったです」と書いており”来なくてもいいです”が書いていない。当時この手紙を読んで独り自室にて号泣したのを思い出した。
私には会いたくないの?
妹には会いたいの?
何故?
そんな思いがまた頭の中を渦のようにぐるぐると廻ったが泣きはしなかった。私は妹のように母に愛されたいと思っているのかなぁ?母からすれば同等に愛しているよと言うだろう。
私は何が欲しいのだろう。
母は大きい行事、入学式や卒業式などのイベント時には調子が悪くなり入院をしていた。私は長女なので親からしてみれば全てが初体験な訳だ。私の小学校の卒業式はよく覚えている、母は入院していて卒業式に出られないのを寂しく感じていたから。私は小学校6年〜中学1年前期は病んでいた。これについてはいつか「むかしばなし」のカテゴリで書きます。そして中学卒業、高校入学&卒業、いずれも母は入院をしていた。だから写真にも無い。
妹のイベントには居る。2度目だから慣れたのだろう、入院はしていない。すなわち、妹のイベント時の写真はあるという事。それを布団の上で見つめ、私は何だか寂しいというのか妹へ嫉妬というのか、よく分からない感情が湧いた。成人式の写真も私は母と写っていなかった。
次女っていいなぁと一瞬思ったものの、次女からすれば長女っていいなぁと思う部分は勿論あるだろう。よく聞くのは、1番目の子は2番目の子よりも写真が多いとか、同姓ならば長女は新品の洋服で次女がそのお古だとか。要はどっこいどっこいなのだが、正直腑に落ちなかった。
私は母に愛されていたのかなぁという疑問が頭をよぎる。子供が親の愛情を感じ取るのは難しいというのは分かっているけれど、なんせ私には小さい頃の記憶が乏しい。
手紙が大量に保管されている箱を自室の奥から見つけた。そこには元カレや元カノからの手紙の他、友達、会社のおばちゃん、高校の先生、そして母からの手紙があった。その手紙は私が高校3年の終わり頃のもので、母は入院中だった。初めて母の入院している病院へ妹と一緒に面会をしに行った、2人共母への手紙を持ちながら。母からの手紙というのは私たち姉妹からの手紙の返事だった。1つの封筒に私宛てと妹宛ての2枚の紙が入っており、目を通してみて後悔した。
私宛ての手紙には「面会に来てくれてありがとう、でももうすぐ退院すると思うので来なくてもいいです」と書いてあり、妹宛てには「面会に来てくれてありがとう、涙が出るほど嬉しかったです」と書いており”来なくてもいいです”が書いていない。当時この手紙を読んで独り自室にて号泣したのを思い出した。
私には会いたくないの?
妹には会いたいの?
何故?
そんな思いがまた頭の中を渦のようにぐるぐると廻ったが泣きはしなかった。私は妹のように母に愛されたいと思っているのかなぁ?母からすれば同等に愛しているよと言うだろう。
私は何が欲しいのだろう。
2008年05月20日
レイと写真
レイについてはこちら。前回では選択的健忘を綴りましたが今回は局限性健忘の方を書きます(リンクばかりですみません)。局限性健忘とは数時間〜数日という一定期間の記憶を失う症状です。私は中学の時にこの症状に気が付きました。もしかしたら中学以前にも症状はあったのかもしれませんが、いかんせんその頃(中学以前)の記憶が曖昧なのでよく分からない。私の場合、記憶が欠落した形跡として体に傷がもれなくついてまいります。たまにメモに何か文字が書いてあったりエクセルファイルにて文章が打ち込まれている事もありました。
こういった何かしらの形跡があれば解離(=簡潔にいうと記憶欠落)していたんだという事が分かるのですが、何も無い場合はいつ解離したのかすらも分からない。もしかしたら5分前に解離していたかもしれない。解離している間はどうなのかって?それがレイです。こういう風に書くと解離性同一性障害(以下DID)、俗にいう多重人格のように聞こえますね。私もDIDなのか?と思った事があります。しかし医師からの診断結果では解離性健忘障害との事なのでそう表記しています。どちらにせよ薬でどうにかなるものでもないし。レイは人前では出てこないのですが、過去に1度だけ元彼女の前で出たそうです。普段から私は言葉遣いが悪いのですが、それとは違った口調の悪さで感情的な反面冷静で男っぽかったと。
レイは恐らく左利き、傷がみな右部分に出来ているので。たまに左腕に傷があった事もありましたが殆どが右部分です。私は少し両効きが入っている右利きです。もともと左利きだったいうのと何か関係があるのかな?
あー写真の事に触れるのを忘れそうになってましたw私は普段よく写真を撮るのです。友達と遊ぶときは必ずといっていい程バッグの中にはデジカメが潜んでいます。遊ぶ時に限らず花とか草、何気ない風景などを撮るのも好きなのです、腕はありませんが(;^ω^)
写真とは実に素晴らしいものだと思う、その「瞬間」を撮ってくれるのですから。当たり前ですがよ〜く考えてみてください(いや考えなくてもいいですw)、大袈裟かもしれないけれど時を止めてくれる上に保存までしてくれる。このブログを教えている友人とひょんな話をしていた時にも言ったのですが、時を止めてその瞬間を保存してくれるのならば未来も撮ってくれないのかと。馬鹿げた考えなのは承知ですが、写真は過去も未来も映してくれない、「今」を撮る。時折自分の目がカメラだったら良いのにとも思う、瞼を閉じるとシャッター起動→脳内へ保存→プリントアウトは口。フラッシュはたけませんがw
いつか私は自分(レイ)に殺されるのではないかという不安があります。肉体的な死ではなく精神的な死。私が私でなくなるかもしれない。私はあの日あの時この人と遊んでいた、この場所へ行っていた、これを見ていた等を写真という形で残しておきたいのです。後から写真を見ていて落ち着く、嗚呼わたしだと。
友達にデジカメ見せてとデータを見せると「なにこれ(笑)」とよく言われます。それらはただの道路であったり木だったり標識だったり物だったり。ですのでそういった写真を撮った日には、すぐさまPCにデータを放り込んでデジカメのSDカードのデータは消去します。「レイは写真撮るの好きだよねー、なんで?w」と聞かれた日には「変態なの(ハァト)」「なんとなく^^」と答えます。本当の理由を言うのは面倒だし、それこそ変態と思われるw
もうすぐアジサイが綺麗に咲く季節ですね。
梅雨は嫌いですが楽しみです。
これはこの間撮った薔薇です。
薔薇よりも雨の雫が綺麗だなと思ったので撮りました↓
こういった何かしらの形跡があれば解離(=簡潔にいうと記憶欠落)していたんだという事が分かるのですが、何も無い場合はいつ解離したのかすらも分からない。もしかしたら5分前に解離していたかもしれない。解離している間はどうなのかって?それがレイです。こういう風に書くと解離性同一性障害(以下DID)、俗にいう多重人格のように聞こえますね。私もDIDなのか?と思った事があります。しかし医師からの診断結果では解離性健忘障害との事なのでそう表記しています。どちらにせよ薬でどうにかなるものでもないし。レイは人前では出てこないのですが、過去に1度だけ元彼女の前で出たそうです。普段から私は言葉遣いが悪いのですが、それとは違った口調の悪さで感情的な反面冷静で男っぽかったと。
レイは恐らく左利き、傷がみな右部分に出来ているので。たまに左腕に傷があった事もありましたが殆どが右部分です。私は少し両効きが入っている右利きです。もともと左利きだったいうのと何か関係があるのかな?
あー写真の事に触れるのを忘れそうになってましたw私は普段よく写真を撮るのです。友達と遊ぶときは必ずといっていい程バッグの中にはデジカメが潜んでいます。遊ぶ時に限らず花とか草、何気ない風景などを撮るのも好きなのです、腕はありませんが(;^ω^)
写真とは実に素晴らしいものだと思う、その「瞬間」を撮ってくれるのですから。当たり前ですがよ〜く考えてみてください(いや考えなくてもいいですw)、大袈裟かもしれないけれど時を止めてくれる上に保存までしてくれる。このブログを教えている友人とひょんな話をしていた時にも言ったのですが、時を止めてその瞬間を保存してくれるのならば未来も撮ってくれないのかと。馬鹿げた考えなのは承知ですが、写真は過去も未来も映してくれない、「今」を撮る。時折自分の目がカメラだったら良いのにとも思う、瞼を閉じるとシャッター起動→脳内へ保存→プリントアウトは口。フラッシュはたけませんがw
いつか私は自分(レイ)に殺されるのではないかという不安があります。肉体的な死ではなく精神的な死。私が私でなくなるかもしれない。私はあの日あの時この人と遊んでいた、この場所へ行っていた、これを見ていた等を写真という形で残しておきたいのです。後から写真を見ていて落ち着く、嗚呼わたしだと。
友達にデジカメ見せてとデータを見せると「なにこれ(笑)」とよく言われます。それらはただの道路であったり木だったり標識だったり物だったり。ですのでそういった写真を撮った日には、すぐさまPCにデータを放り込んでデジカメのSDカードのデータは消去します。「レイは写真撮るの好きだよねー、なんで?w」と聞かれた日には「変態なの(ハァト)」「なんとなく^^」と答えます。本当の理由を言うのは面倒だし、それこそ変態と思われるw
もうすぐアジサイが綺麗に咲く季節ですね。
梅雨は嫌いですが楽しみです。
これはこの間撮った薔薇です。
薔薇よりも雨の雫が綺麗だなと思ったので撮りました↓
分岐
母は今、統合失調症で入院をしています。このあいだの土日に外泊許可が出たようで実家に居る事は知っていた。1ヶ月振りに母の顔を見ようと思い実家へ自転車を走らせること3分。白い玄関のドアを開け「ただいまー」と言いリビングへ向かう。そこに居たのは私の恐れている母の姿である事に気付く時間はほんの一瞬だった。あの目…。母をこういう言葉で表現するのは不適切だが、、、形骸と化していた。「お母さん…調子はどーお?」と声を掛けても母の目はあさっての方向を向いていて反応が無い。このままこの場所(実家)に居ると私の調子が悪くなると思い、逃げるようにまた自転車を走らせた、涙を浮かべながら。
あんなお母さんを見たくない。
あれはお母さんじゃない。
私の知っているお母さんはどこへ行ったの?
色々な想いがほんの3分という時間で脳内を巡りめくる。病気だから仕方ないのは分かっている、しかしいざ目の前にしてしまうと「病気だからしょうがないっか\(^o^)/」なんて思えない私は器が小さすぎる。私の知っている母はいつもにこにこと優しい笑顔で、ぐぅたら寝ていて、料理が美味しくて、掃除がいい加減で、決して怒らなくて、天然すぎる程の天然で、「レイちゃん何食べたい?」「何作れるの?」「材料何も無いの^^」「(#^ω^)ピキピキ」というやりとりをいつもしていて…。もうあの頃の母には戻れないのだろうな。ただの娘の勘、されど娘の勘。今まで入院は何度もしていたが、どれも3ヶ月程度、長くても半年くらいだったが前回は1年半。インターバル4ヶ月で今に至る。
また元の母に戻ったとしてもいずれまた入院する事は目に見えている。それらを踏まえ、以前から両親の離婚の話がちらほらと出ていた。私と妹でもそのような話をしていた、「離婚してほしいね」と。本来、両親の離婚というのは子供からするとショックであったり、離婚して欲しくない!という想いがあるのが多いかと思う。しかし私たち姉妹は「離婚してほしい」と思っていた。
本当に勝手極まりない考えだが、現実的に考えこういう結論になっていた。父は母の8歳年上で、母より先に逝く確率が非常に高い。父が無くなった後、母の調子が悪くなるのは想像がつく。そこでまた入院などすると考えよう、経済的に困難な訳だ。支払いは私たち姉妹だろう。母の家族?母には兄がいるが彼も重度の統合失調症で頼れる状況ではない。入院費は月に30万弱。姉妹で割っても約15万、無理だ。入院をしないとしても調子の悪い母を看病するのも困難だ。その頃には妹にも家庭があるだろう。
「今週はそっちでお母さんを診てね」
「あー、今週は**だから無理ー」
というやりとりが長く続き姉妹の関係が崩壊するのも嫌だという考えが私たちにはあった。
もう1つの理由としては、父を解放してあげたい。私の両親はお見合い結婚だったそう。父は母の病気を知らされないまま結婚をし、いざ結婚生活を始めてみたら母の様子がおかしい事に気付いたらしい。そこで母の両親(私からすると祖父母)から病気の事を告げられたようです。因みに母がバツイチで子供が1人いたというのもその時に知ったようです。それでも父は精神疾患に偏見があった時代の波に負けず母を見捨てなかった。もう充分なのではないか?と思う。
離婚してほしいという大きな理由が以上2つです。ただ母の事を思うとその思いは多少なりとも揺らぐのは事実です。以前の日記で書いたMarderは母の兄なのです。自分の双子の兄が相方を殺した。若くして結婚をし子供を産んだが精神病という事で離婚を申し立てられた。波乱万丈な母の人生に付け加えるかのように今回離婚をするとどうなるのだろう。気力があれば自殺をするだろう。
そこで私たちは自分たちの選択を後悔するだろう、「離婚してくれ」なんて思わなければお母さんはこんな事しなかったのに、と。そこまで予測を立てているが離婚して欲しいと思っている。ただ私と妹の違いとしては母が万が一離婚を期に自ら命を絶ってしまった時、妹は悲しいと言っていた。私は今の時点でその未来を予想してみても「悲しさ」が無い、何故だか分からないが。あくまでも予想なので実際目の当たりにしたらどうなるのか分からない。自分が母を殺した、という重い十字架を背負いながら人生を歩むかもしれない。
恐らく年内、若しくは年明けに両親は離婚するかと思います。それまでに色々と調べる事があるのでそれらを調べる、昔のアルバム写真を全てスキャナーで取り込む、私がまだ会った事のない半分血が繋がっている兄の住所を突き止めるetc...。
両親の分岐。
私たち姉妹はそのバイパスになるのだろうか。
あんなお母さんを見たくない。
あれはお母さんじゃない。
私の知っているお母さんはどこへ行ったの?
色々な想いがほんの3分という時間で脳内を巡りめくる。病気だから仕方ないのは分かっている、しかしいざ目の前にしてしまうと「病気だからしょうがないっか\(^o^)/」なんて思えない私は器が小さすぎる。私の知っている母はいつもにこにこと優しい笑顔で、ぐぅたら寝ていて、料理が美味しくて、掃除がいい加減で、決して怒らなくて、天然すぎる程の天然で、「レイちゃん何食べたい?」「何作れるの?」「材料何も無いの^^」「(#^ω^)ピキピキ」というやりとりをいつもしていて…。もうあの頃の母には戻れないのだろうな。ただの娘の勘、されど娘の勘。今まで入院は何度もしていたが、どれも3ヶ月程度、長くても半年くらいだったが前回は1年半。インターバル4ヶ月で今に至る。
また元の母に戻ったとしてもいずれまた入院する事は目に見えている。それらを踏まえ、以前から両親の離婚の話がちらほらと出ていた。私と妹でもそのような話をしていた、「離婚してほしいね」と。本来、両親の離婚というのは子供からするとショックであったり、離婚して欲しくない!という想いがあるのが多いかと思う。しかし私たち姉妹は「離婚してほしい」と思っていた。
本当に勝手極まりない考えだが、現実的に考えこういう結論になっていた。父は母の8歳年上で、母より先に逝く確率が非常に高い。父が無くなった後、母の調子が悪くなるのは想像がつく。そこでまた入院などすると考えよう、経済的に困難な訳だ。支払いは私たち姉妹だろう。母の家族?母には兄がいるが彼も重度の統合失調症で頼れる状況ではない。入院費は月に30万弱。姉妹で割っても約15万、無理だ。入院をしないとしても調子の悪い母を看病するのも困難だ。その頃には妹にも家庭があるだろう。
「今週はそっちでお母さんを診てね」
「あー、今週は**だから無理ー」
というやりとりが長く続き姉妹の関係が崩壊するのも嫌だという考えが私たちにはあった。
もう1つの理由としては、父を解放してあげたい。私の両親はお見合い結婚だったそう。父は母の病気を知らされないまま結婚をし、いざ結婚生活を始めてみたら母の様子がおかしい事に気付いたらしい。そこで母の両親(私からすると祖父母)から病気の事を告げられたようです。因みに母がバツイチで子供が1人いたというのもその時に知ったようです。それでも父は精神疾患に偏見があった時代の波に負けず母を見捨てなかった。もう充分なのではないか?と思う。
離婚してほしいという大きな理由が以上2つです。ただ母の事を思うとその思いは多少なりとも揺らぐのは事実です。以前の日記で書いたMarderは母の兄なのです。自分の双子の兄が相方を殺した。若くして結婚をし子供を産んだが精神病という事で離婚を申し立てられた。波乱万丈な母の人生に付け加えるかのように今回離婚をするとどうなるのだろう。気力があれば自殺をするだろう。
そこで私たちは自分たちの選択を後悔するだろう、「離婚してくれ」なんて思わなければお母さんはこんな事しなかったのに、と。そこまで予測を立てているが離婚して欲しいと思っている。ただ私と妹の違いとしては母が万が一離婚を期に自ら命を絶ってしまった時、妹は悲しいと言っていた。私は今の時点でその未来を予想してみても「悲しさ」が無い、何故だか分からないが。あくまでも予想なので実際目の当たりにしたらどうなるのか分からない。自分が母を殺した、という重い十字架を背負いながら人生を歩むかもしれない。
恐らく年内、若しくは年明けに両親は離婚するかと思います。それまでに色々と調べる事があるのでそれらを調べる、昔のアルバム写真を全てスキャナーで取り込む、私がまだ会った事のない半分血が繋がっている兄の住所を突き止めるetc...。
両親の分岐。
私たち姉妹はそのバイパスになるのだろうか。
2008年05月19日
安全ブレーキ
今年に入ってから調子が良く、2月頃からバイトを始めようかと思っていました。そんな矢先に腕にパックリ傷ができてしまい、それでも出来るバイト、すなわち半袖を着なくてもよいバイトを探していた。他の条件としては週3〜4、近場、営業以外といったくらいだ。
毎週求人誌に目を通しやっと見つけた。中古のCD・DVD、古着、ゲーム、フィギュア、本など大量に置いてある店で私もよく利用していた所だった。募集の欄には休みが週2〜4日・実働8時間と書いてありなかなかいいじゃないかと思い早速電話をし面接へ行った。結果はその場で即採用が決まり働くことになった。
私がよく利用していた&好きなお店でしたのでとても楽しみにしていた。そしてバイト初日、wktkしながら出勤。業務内容は、研修期間なのでまずはお店のどこに何が置いてあるかを軽く覚える。これはすんなりクリアーした、よく行きますから。あとはレジ打ちを軽く覚えつつ商品を詰めるなど地味な作業をするといった感じです。地味な作業は大好きだし、しかもそれらの商品はトレカだったりフィギュアだったりと私がニヤニヤしてしまうような物ばかりで楽しかった。職場の人間関係もとても良く、周りの人達とすぐに溶け込めた。
しかし働いてみて掘り下げてみるとどうも週5でガチのようだった。土日のどちらかなら出勤OKという事は面接時に言っていたのだが、雰囲気的に土日両方出勤という可能性が大。実働時間も約9時間。募集要項と内容が違うじゃないか!というのがよくある事なのは承知。
バイト3日目の朝、手の震え・眩暈・舌の痺れといった症状が発生。…何年か前に経験した懐かしい、という言葉は使いたくないが鬱になる前の症状が出た。以前はこれらの症状が出ても、体に鞭を打ち仕事をしていた。体からの危険信号を無視した結果、鬱状態へと突入したのを忘れない。無理して頑張るのは得意なので、その日のバイトをする事も可能だったが休んだ。
現在私は病気の回復期であって完璧な状態ではない。数年前、回復期に調子に乗り激鬱へと突入した。同じ事を繰り返してはいけない。もうあんな辛い状態にはなりたくない。だから私はバイトを辞める事にした。週5で実働9時間、出来ない事はないが今の私の状態では少しHP・MP共に足りないと踏んだ。甘えだというのは分かっているが、焦ると酷い目にあうのを体験したから保守的措置をとった、もう少し低いハードルにしようと。
それに研修期間という事もあり、まだ職場(CD担当やら古着担当など)が確定されていないので迷惑も最小限に抑えられる。精神科の担当医とも話し合った結果その方が良いとの事だったので、辞めるという道を選択した。
1年前の私だったら「こんな事も出来ない私は人間としてクズだ」という思考回路で形成されていた。けれども今は違う。「今の私にとってはハードルが高かった、もう少し段階を踏んでいこう」という考えになっている。「こんな事も出来ない私は〜(略)」という考えを全くもっていないとまではいかないが。次は週3くらいで実働5時間くらいのバイトを探そうと思う。半袖が着られるならば沢山あるのですが…、秋頃になってしまうのかなぁ。
でも今回の件で、自分が以前よりも回復しているのを確認できたのでそいういった意味では良い経験をした。
毎週求人誌に目を通しやっと見つけた。中古のCD・DVD、古着、ゲーム、フィギュア、本など大量に置いてある店で私もよく利用していた所だった。募集の欄には休みが週2〜4日・実働8時間と書いてありなかなかいいじゃないかと思い早速電話をし面接へ行った。結果はその場で即採用が決まり働くことになった。
私がよく利用していた&好きなお店でしたのでとても楽しみにしていた。そしてバイト初日、wktkしながら出勤。業務内容は、研修期間なのでまずはお店のどこに何が置いてあるかを軽く覚える。これはすんなりクリアーした、よく行きますから。あとはレジ打ちを軽く覚えつつ商品を詰めるなど地味な作業をするといった感じです。地味な作業は大好きだし、しかもそれらの商品はトレカだったりフィギュアだったりと私がニヤニヤしてしまうような物ばかりで楽しかった。職場の人間関係もとても良く、周りの人達とすぐに溶け込めた。
しかし働いてみて掘り下げてみるとどうも週5でガチのようだった。土日のどちらかなら出勤OKという事は面接時に言っていたのだが、雰囲気的に土日両方出勤という可能性が大。実働時間も約9時間。募集要項と内容が違うじゃないか!というのがよくある事なのは承知。
バイト3日目の朝、手の震え・眩暈・舌の痺れといった症状が発生。…何年か前に経験した懐かしい、という言葉は使いたくないが鬱になる前の症状が出た。以前はこれらの症状が出ても、体に鞭を打ち仕事をしていた。体からの危険信号を無視した結果、鬱状態へと突入したのを忘れない。無理して頑張るのは得意なので、その日のバイトをする事も可能だったが休んだ。
現在私は病気の回復期であって完璧な状態ではない。数年前、回復期に調子に乗り激鬱へと突入した。同じ事を繰り返してはいけない。もうあんな辛い状態にはなりたくない。だから私はバイトを辞める事にした。週5で実働9時間、出来ない事はないが今の私の状態では少しHP・MP共に足りないと踏んだ。甘えだというのは分かっているが、焦ると酷い目にあうのを体験したから保守的措置をとった、もう少し低いハードルにしようと。
それに研修期間という事もあり、まだ職場(CD担当やら古着担当など)が確定されていないので迷惑も最小限に抑えられる。精神科の担当医とも話し合った結果その方が良いとの事だったので、辞めるという道を選択した。
1年前の私だったら「こんな事も出来ない私は人間としてクズだ」という思考回路で形成されていた。けれども今は違う。「今の私にとってはハードルが高かった、もう少し段階を踏んでいこう」という考えになっている。「こんな事も出来ない私は〜(略)」という考えを全くもっていないとまではいかないが。次は週3くらいで実働5時間くらいのバイトを探そうと思う。半袖が着られるならば沢山あるのですが…、秋頃になってしまうのかなぁ。
でも今回の件で、自分が以前よりも回復しているのを確認できたのでそいういった意味では良い経験をした。
2008年05月18日
解離性健忘障害
右上のプロフィールに書いてある通り、私は解離性健忘障害を患っております。簡単に説明しますと、解離性健忘障害とは解離性障害の一種で、物忘れでは説明が出来ないほどの記憶が欠落する事です。解離性健忘障害の中でもいくつかカテゴリがあるのですが、私は局限性健忘と選択的健忘に当てはまります。局限性健忘は数時間〜数日という一定期間で記憶を失う症状で、選択的健忘は思い出したくない記憶だけを失ってしまう症状です。今回の記事では後者の選択的健忘の方を綴ろうかと思います。
私は幼少期〜小学校5年生頃までの母親との記憶が一切ありません。幼稚園〜小学校の頃の母親以外の記憶は欠落している部分もありますが、辛うじてあります。ただ、遠足でどこへ行ったのか林間学校、修学旅行、誰と仲が良かったのか等は覚えていません。最近、地元の友達との交流があるのでその際にそれとなしに聞いて「あーそうだったんだー」と心で頷きながら話を合わせている状態です。
話を戻しまして、母親との記憶が無いというのは、小学5年生頃までの間の母親の映像が出てこないのです(脳内の映像)。映像が出てこない=その頃の母がどのような人だったのか知らないのです。妹に聞いてみたところ怖かったそうです、父に聞いてみたらその頃の母は特に精神不安定だっとか。私が3歳くらいの頃、母が泣いている私を思いっきり叩いている所を父は目撃し止めたという話を聞いた。たまたま父が目撃していたから止められたものの、普段父は仕事に忙しい為、母に何をされていたのか分からない。何をされていたのか、されていなかったのかすら分からない。
虐待とまではいかないだろう。昨今では幼児虐待ニュースが頻繁に取り出されていて、内容を伺うと我が子を放り投げただの煙草の火を押し付けただの。恐らくその域には達していないと思う(思いたい)ので虐待をされていたとは思わない(思いたくない)。事実は闇に葬られた状態ですが。
医師曰く、何かすら原因があって思い出したくないから記憶が欠落しているので、無理に思い出そうとしない方が良いとの事。しかしながら、やはり気になるので昔のアルバムをめくってみる。長女という事もあってか、私の写真は妹よりある。勿論、母と映っている写真も沢山あるが、それらの写真を見ても脳内映像は出てこない。それどころか、その頃の自分は自分ではないような気がするというか、他人を見ているような感覚に襲われる。幼少期のビデオテープもあり、一通り見てはみるもののやはり覚えていない。
母との記憶が無いという事に気付いたのは、結婚式で両親への手紙の内容を考えている時に気付きました@スタバにて。両親への手紙の大半が、小さい頃**してくれてありがとう、など昔を振り返り感謝を述べたりするのが多いかと思います。私もそれにあやかろうとスタバでペンを握り昔を思い出そうとしてみたら、母との記憶が無い事に気付いたという次第です。何故今までその事に気付かなかったのかというのと、記憶が無いという事に心で慟哭すると共に愕然としました。
解離性健忘の方で昔の記憶を急に思い出したという方もいらっしゃるようです。私もいつか思い出せるのかなぁ?思い出してみたいものの、それと同時に怖いという気持ちもあります。
母親との記憶がある方(が大半かと思いますが)、それは当たり前のようで当たり前ではないかもしれません。母親に限らず父親、友人などの記憶。私もそうですが、当たり前の事ほど意外にも放ったらかしにしがちだと思うのです。そしてその当たり前を失った時、後悔すると思うのです。ですから当たり前の事、若しくは簡単なこと程大切にしていって欲しいと思います。私はこの病気に気付いてからそれらを大切にしようと心掛けています。意外と大変ですが。
後半、タイトルから脱線してしまいましたがこんな感じです。
私は幼少期〜小学校5年生頃までの母親との記憶が一切ありません。幼稚園〜小学校の頃の母親以外の記憶は欠落している部分もありますが、辛うじてあります。ただ、遠足でどこへ行ったのか林間学校、修学旅行、誰と仲が良かったのか等は覚えていません。最近、地元の友達との交流があるのでその際にそれとなしに聞いて「あーそうだったんだー」と心で頷きながら話を合わせている状態です。
話を戻しまして、母親との記憶が無いというのは、小学5年生頃までの間の母親の映像が出てこないのです(脳内の映像)。映像が出てこない=その頃の母がどのような人だったのか知らないのです。妹に聞いてみたところ怖かったそうです、父に聞いてみたらその頃の母は特に精神不安定だっとか。私が3歳くらいの頃、母が泣いている私を思いっきり叩いている所を父は目撃し止めたという話を聞いた。たまたま父が目撃していたから止められたものの、普段父は仕事に忙しい為、母に何をされていたのか分からない。何をされていたのか、されていなかったのかすら分からない。
虐待とまではいかないだろう。昨今では幼児虐待ニュースが頻繁に取り出されていて、内容を伺うと我が子を放り投げただの煙草の火を押し付けただの。恐らくその域には達していないと思う(思いたい)ので虐待をされていたとは思わない(思いたくない)。事実は闇に葬られた状態ですが。
医師曰く、何かすら原因があって思い出したくないから記憶が欠落しているので、無理に思い出そうとしない方が良いとの事。しかしながら、やはり気になるので昔のアルバムをめくってみる。長女という事もあってか、私の写真は妹よりある。勿論、母と映っている写真も沢山あるが、それらの写真を見ても脳内映像は出てこない。それどころか、その頃の自分は自分ではないような気がするというか、他人を見ているような感覚に襲われる。幼少期のビデオテープもあり、一通り見てはみるもののやはり覚えていない。
母との記憶が無いという事に気付いたのは、結婚式で両親への手紙の内容を考えている時に気付きました@スタバにて。両親への手紙の大半が、小さい頃**してくれてありがとう、など昔を振り返り感謝を述べたりするのが多いかと思います。私もそれにあやかろうとスタバでペンを握り昔を思い出そうとしてみたら、母との記憶が無い事に気付いたという次第です。何故今までその事に気付かなかったのかというのと、記憶が無いという事に心で慟哭すると共に愕然としました。
解離性健忘の方で昔の記憶を急に思い出したという方もいらっしゃるようです。私もいつか思い出せるのかなぁ?思い出してみたいものの、それと同時に怖いという気持ちもあります。
母親との記憶がある方(が大半かと思いますが)、それは当たり前のようで当たり前ではないかもしれません。母親に限らず父親、友人などの記憶。私もそうですが、当たり前の事ほど意外にも放ったらかしにしがちだと思うのです。そしてその当たり前を失った時、後悔すると思うのです。ですから当たり前の事、若しくは簡単なこと程大切にしていって欲しいと思います。私はこの病気に気付いてからそれらを大切にしようと心掛けています。意外と大変ですが。
後半、タイトルから脱線してしまいましたがこんな感じです。

